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「侘び」について考えてみる

 「侘び」を考えてみる。
 「侘び」とは、動詞「わぶ」 の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。
 転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。
 本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが、積極的に評価され、美意識の中にとりこまれていった。少し難しいので、まずはこの概念が生まれたとされる時代背景と共に考える事にしたい。


 室町時代まで遡ることにする。
 器の「美」は、やはり「茶」から始まるようである。
 室町当時の茶会は、将軍家や有力大名たちが金に物を言わせて集めた高級輸入品のオンパレード、成金趣味の下品なパーティや大宴会のような状態であったらしい。
 そんな時代に、侘び茶の祖と言われる「村田珠光」は、これを嫌い、形式や格式張ったものを排していく。

 これが、「侘び」の最初の一歩。

 

一休宗純

一休宗純

村田珠光

村田珠光

千利休

千利休

 そこには、禅宗の僧である「一休宗純」の影響があったと言われている。
 仏教と茶、その関係性とは。
 当時の仏教は、形式や格式を重んじるばかりに、純粋な釈迦の教えから離れ、一人歩きし、人間の勝手な解釈でねじ曲げられた教えになっていた。
 そしてそれは、結果的に金や権力に溺れた高僧を溢れさせていた。「茶坊主」という言葉があるが、これは権力に溺れ、将軍など地位の高い人間と強く結びつき、当時の大宴会のような茶事にばかり興じる出家者を皮肉った言葉とも言われている。

 宗純は、このような状態に疑問を持っていたようであり、またこれを嫌った。


 一休宗純という人物は、みなさんご存知のアニメ「一休さん」のモデルで、トンチの利く利発な小坊主は、幼少期の宗純の逸話を物語化したものである。
 宗純は、後小松天皇の落胤(らくいん=落し子)と言われており、聡明で利発な幼少期とは裏腹に、自由奔放で、飲酒、食肉、女犯(にょぼん)を行うなど奇行が多かった。

 そんな宗純であるが、釈迦が何を言いたかったのかを考え、僧としての戒律や地位などの前に、人が人として生きる事の意味を考え、自身の生き方でこれを表現した人物であった。

 

 そして、この戒律や形式に囚われない宗純の生き方を、近くで学んだとされる珠光は、茶で人をもてなすためには、これまでのような形式や格式およびに、高価な宝飾品や道具は必要ないと思っていったのではないのだろうか。

 「侘び」とは、客人をもてなす為には、特別に高価なものが必要なわけではなく、その客人をいかに楽しませるのかを追求することが大切であるという事、「もてなし」を最も重視した考えだと思われる。


 そこに面白さや趣をプラスしたのが、村田珠光の思いを引き継ぐ、あの「千利休」である。
 その利休自身も「釜一つ あれば茶の湯は 足るものを よろずの道具 好むはかなさ」と歌を残している。このことからも、侘び茶の精神は、茶の湯を楽しむことに、様々な道具は必要ない事を物語っている。


 現代と違い戦国の世の中では茶事そのものが、次は会えないかもしれない「一期一会」であり、一つ一つが、真剣勝負であった。また、これを精神的にも安らげる場にすることこそ最上の「もてなし」であったに違いない。
 そしてこのような侘びた世界観が戦国大名たちのこころを強烈に捉えていく事になる。


 この精神的な概念としての「侘び」から、絢爛豪華で高価な宝飾品や道具を排していくことに始まり、また道具の材質やカタチ、姿などへの「侘び」も重視されるようになっていく。
 均整の取れた美しさは、飽きやすい。「 美人は三日で・・・」の言葉の通りではないだろうか。


 「完璧の美」は、幾何学的で絶対的な形状でありながら、遥かに高次元の一種魔力的な魅力がないとなしえない。 完全な美を求めようとすれば、色、形、焼け、土が全て、高次元で一体化した物になるが、実際にそうなると、遊びがなく無機質で、何故だか面白みがなくなってしまう。
 これでは、あまり肩に力を入れて完璧を求める意味がそこにあるのか?と疑問が出てくるのである。

 むしろ「出来の悪い子供ほど可愛い」という言葉があるが、これこそ一種の「侘び感」だと思う事がある。


 実際にも、使用中に欠けてしまった器や、焼成中に窯の中で割れてしまったような器を、漆で接着し、金や銀の粉をふり、使用には困らないように直す「金継ぎ」という手法がある。ただの修理と言ってしまえば、それまでだが、その直し方ひとつで、割れていないままの器よりも、むしろ乙で趣のある器に変えてしまう力がある。これは、実に興味深く面白いところである。


 この侘びの面白さ部分、「乙(おつ)」を特に肥大化させたのが、利休の弟子で利休七哲にも数えられる茶人大名の「古田織部」だと思う。
 「乙」とは「甲、乙、丙、丁」の「乙」のことで、最高評価の「甲」ではなく「乙」が良いと言う評価基準であり、「侘び」を表す言葉としては、これほど的を射た表現は見あたらない。
 織部はひょうげ者と言われていたようで「ひょうげ」とは、ひょうきんだとか、おどけたという意味で、織部考案の陶器「織部焼」を見ても、形や色使い、図柄のユーモアさなどは、他の陶器とはまったく異質で、ずば抜けていることがわかる。楽しい器でもてなそう、「乙」を楽しんで貰いたいとする気持ちをひしひしと感じる。


 「侘び」の美意識とは、豪華で高価な物だからといって良しとせず、むしろ不完全なモノの中に生まれる楽しさや美しさを愛でる感覚のことであると言える。

 

長次郎 「大黒」
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