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「寂び」について考えてみる

「寂び」について考えてみたい
 「寂び」とは、動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。転じて漢字の「寂」が当てられ、人がいなくなって静かな状態を表すようになった。同様に金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられている。英語ではpatina(緑青)の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現される。
 言葉の意味としては、経年変化による物質の変化、転じて人の居ない物静かな様子といったところである。

 寂びの概念は、侘びの概念よりも古くから存在したようで、徒然草の中にも記述があるとの事である。
 しかし、難しく考えなければ、侘びよりも理解しやすいと思われる。

 いわゆる「骨董趣味」と言える。
 身近なところでは、ジーンズやスニーカーなど、下ろしたての新品の物よりも使用感のある物の方がしっくり落ち着く。今では、あえてダメージを与えた新品も発売している。そのような美的感覚と思って良い。

 「西洋アンティーク」という言葉がある通り、これはヨーロッパ諸国などでも理解されやすい感覚だと思われる。
 現代ではむしろ、使い捨ての大量消費を繰り返す日本人よりも、諸外国のみなさんの方が、身近なのかもしれないと感じることがある。ヨーロッパでは、祖父、祖母の代に作られた家具や調度品なども現役で使われていると聞く。また、家なども築100年、200年は当たり前のようである。現代日本では、もはや考えられない。

 では、古人たちは、どこにそれを感じたのであろうか?
 優しい老人に刻み込まれたシワや、コケのはえた石、竹林、松林、冬の海といったところか。
内からにじみ出るような感覚をもち、決して朽ちてしまったものではない。非常に美しく絶妙なバランスの上で成立つものと考えられる。

 「ぐい呑」などの酒器で言えば、使い込む事によって「カド」が取れてしっとりと艶やかに変化し、釉薬ものなら貫入が入っていく。酒呑み達は「育つ」と言ってその変化を楽しむのである。
  徳利やぐい呑を育てるには、「一石(いっこく)の酒を呑ませろ」と言われている。一石とは、一升瓶で100本、180リットル。単純計算でも、毎日3合の酒を呑み続けて、実に、約一年かかる大仕事である。
 それほどまでに使いこんでこそ生まれる美しさをを求め、またその変化を日々感じながら「マイぐい呑」を楽しみたいものである。

 このように「侘び」と「寂び」は、それぞれに違った意味を持つもので、このふたつを合わせる事により、初めて日本特有の「美」の概念が完成するのである。
 「侘び寂び」とは、決して絢爛豪華な物ではなく、実に質素なものではあるが、使う人の事も考えられて丁寧に作られたもの、もしくは、考えて選ばれたものを、長い月日愛し、丁寧に使い込む事によって、内から滲み出でる美しさが生まれる。と言い換える事ができる。
 なんと、現代日本人が「古臭い」「ダサイ」「かっこ悪い」と言い続け、もはやどこかに置いてきてしまった「美」の感覚ではないか。今では、外国の方々の方が、美しい日本文化に感銘を受け、また理解を示している感覚すらある。日本人として実に寂しく思うのである。
 
 しかし、この素敵な「侘び寂び」という美的感覚を、日本人には忘れて欲しくないと切に願うところである。

 

本阿弥光悦「雨雲」
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